義父が肺癌の診断を受けて3年。

徐々に弱っていく姿を見ながら、後どれだけ一緒に過ごせるだろう?と思ってました。

今年のお盆までもつかどうかと医師から話があったのに、

見る見るうちに会話もできなくなり、12日の夜に突如お別れする事になりました。

自営業者としての義父

私は、義父(ジジ)にはとっても可愛がってもらっていて。

事あるごとに「はるちゃーん」「ジジー」と話す仲でした。

私の友人や妹弟もジジに会ってて、うちに遊びにきたら年末には

ジジお手製の年越し蕎麦を食べながら(以前はお店でお蕎麦出してたそうで)

みんなでゆったり年越ししてました。

電気技術士のジジは仕事が趣味のような人で、
肺癌の手術後も「仕事に行ってくる」と働きに行く程。

私も基本的に暇があれば何か仕事してるタイプで、ジジとはとても気が合ったんですね。

ジジが仕事に向き合う姿勢も尊敬してました。

一緒に

「好きに仕事してお金もらえるなんて良いよね〜?」

とか話してたなぁ。

食が細った時に食べられる物を探す日々

元気な頃は、

そんなに食べて大丈夫なの!?

ってくらいモリモリ食べてたジジでしたが。

殆ど食べ物を受け付けなくなり。

何か少しでも食べられそうなものが無いか、買い物に行く度に探してました。

果物とか和菓子とか。

私は食べ物の好みもジジと気が合ったので、

まだ多少食べられる時には、

普段あまり口にしないようなものをチョイスしては

「これ好きじゃない?食べたくない?」

なんて。

ジジに食べ物プレゼン

をしていました。

ヒットしたら嬉しくて!

「やっぱりね〜!」なんて言いながら食べてもらってました。

人と別れた時の答えがどこにもない

ジジの病気が発覚した時から覚悟はしていたのに。

いざその時が来るとどうしようもなかったりします。

自分の血が繋がった親では無いのですけども。

「俺より悲しんでない?」って旦那さんから言われる程にこたえました。

自分でもビックリ。

私は、ジジが大好きだったんだなぁ。

それでも、どうしてもやらなければならない仕事は対応しましたが。

急に悲しくなったり、涙が出てきたり、やる気が出なくなったり。

「仕事したくないなぁ・・・」

なんてつぶやくように。

普段の私を知っている家族は子供に至るまでが、

「ええええええええ!?」

同時に驚きの声をあげるくらいでした。笑

どうやら私は延々と働いているイメージがあるらしい。

答えを探して『死別 乗り越える 方法』とか検索したりして。

いろんなアドバイスはあったけど、でもどれも求める答えじゃなくて。

生きてて欲しかったなぁ

とか

寂しいなぁ

と思いながらぼんやり過ごしてました。

お別れした直後にはご飯もしばらく食べたくなく、

ジジへのプレゼンを思い出して買い物に行くのも苦痛でした。

みんなこんな想いをしてるんだなぁ。知らなかった。

覚悟をして過ごして見送ってもこんなに辛いんだから、

突然身内を亡くしたらどんなに酷いだろうと。

想像もつかない。

スタッフさんに何とか助けてもらう

現在、うちには協力してくれているスタッフさんが数名おりまして。

一人だったらきっともう無理だったけど。

色んな人に迷惑かけて廃業したかもしれない。

でも今は遠くにいるけど、声をかけたら対応してくれる。

そんな協力してくれる方がいてくれて、ホントに助かりました。

足向けて眠れませんね。

いろんな方の協力があってこその現在だとヒシヒシ感じます。

本当にありがとうございます。

ようやく、残しておこうと思えるくらいには緩やかに動けてきて。

ゆっくりだけど、ペース戻しながら頑張るぞ。

ここでジジ以上に働いて、向こうに行って会えたらジジに威張るのだ。

そんな私を見るに見かねた長男が、残してたメモ。

ありがとーーー!

母ちゃん頑張れますわ。

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